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【アラベスク】  第1章 春の嵐



第2節 白い罠 [1]




 駅舎を出たのは、六時を五分ほど過ぎた頃だった。
 (さとし)の姿を入り口の外に認めた時、美鶴(みつる)は状況がよく飲み込めず、しばらく何も言えなかった。先に口を開いたのは聡だった。
「やっぱ美鶴だ。名前聞いてまさかと思ったけど、お前、こんなとこにいたんだ」
 言いながら、一歩踏み出す。
「なんにも言わずに引っ越すから探したぞ」
 浅黒い小顔に男っぽい眉毛は軽く整えられ、引き締まった顎は力強い。長く伸びた髪を後ろで縛るが、届かなかった前髪の一部が、ヒラヒラと目の前で揺れている。それは邪魔というよりはむしろ楽しげだ。広い肩幅は上着の上からでもわかる。美鶴が知っていた頃でも、身長は180cmを越えていた。今でも空手は続けているのだろうか?
「だけどお前、なんでまたこんな遠い私立の高校になんて進学したんだ?」
 入り口を閉めながらそこまで言って、ようやく室内の山脇(やまわき)に気づく。山脇は微かに笑うと、曖昧に首を傾けた。聡は怪訝そうに美鶴を覗き込む。
「何? お前まさか・・・ 彼氏?」
「はぁ?」
 美鶴は『彼氏』の一言に我を取り戻すと、怒ったように睨みあげた。
「冗談言わないでよ!」
 今度は床に向かって怒鳴る。
 そもそも、なんで聡がここに?
 ハッと気がついて顔をあげる。
「四組に転入してきたヤツって、アンタ?」
「そっ、俺」
 ビッと親指で自分の顔を指すところなどは、昔と変わらない。
「でも、確か金本(かねもと)って・・・」
「おふくろ、再婚したワケよ」
そうして、興味深そうに室内を見渡す。
「へぇー、駅舎には見えねーな」
 笑みを含んだ小さな瞳は、昔とちっとも変わってはいない。
「何しに来たワケ?」
「別に。お前に会いに来たワケよ。正確には、噂の人間が本当にお前かどうか、確かめに来たワケ」
「噂?」
「そ。成績は優秀だけど性格は最低な『大迫(おおさこ)()(つる)』って女がいるって聞いたもんだからよ。『美鶴』なんて名前はあんまりないけど、評判からいってとてもお前だとは思えなくってさ。でも気になるから確認しようと思ってな。いつもここにいるって教えてもらったんだ」
「そう、それだけ? それ以上用がないんなら出てってよ」
「なんだよ。久しぶりなのにつれないなぁ。せっかく女どもを巻いてきたってのによぉ。お前、三組だろ? 本当は教室に見に行こうと思ってたんだけど、なっかなか行けなくってさぁ」
「ずいぶんな人気ね」
 嫌味のように返したが、相手は気にする様子もない。むしろ自慢気に胸を張る。
「まぁな。別に女どもを口説いてまわってるってワケじゃねぇぜ。まぁ、転入生ってのが物珍しいからじゃねぇーの? でさ」
 聡はこそっと山脇へ視線を送る。
「俺って、ひょっとして邪魔?」
「邪魔」
「いや邪魔じゃないよ」
 同時に答える二人。聡は面食らって美鶴と山脇を交互に見つめる。
「はぁ?」
「だから・・・」
「いや、別に邪魔じゃないよ。僕は特に急ぎの用事ってワケじゃないし、今度でもかまわないよ」
 そう言って山脇は机の鞄へ手を伸ばす。
「え? いや、俺も別に急ぎってワケじゃないんだけど」
 帰ろうとする山脇を、聡は慌てて止める。
「俺は別に、噂の女が俺の知ってる美鶴かどうかって確かめたかっただけなんだ」
「大迫さんと知り合い?」
「あぁ。昔からの・・・」
「なんだっていいじゃない!」
 聡の言葉を、美鶴は大声で(さえぎ)った。二人とも、無言で美鶴を見つめる。
 そんな視線を振り切るかのように、美鶴は自分の鞄と英語の教科書をひっつかんだ。そうしてそのまま二人を押し退けて出て行こうとした。だが・・・
「まてよっ!」
 美鶴の腕を掴んだのは聡だった。
「放してよ!」
 その手を強引に振り払おうとして、大きく腕を振る。
 キンッ・・・
 響いたのは高い金属音。怒りと憤りと戸惑いが渦巻く室内には小さすぎる音だったが、誰もがそちらへ目を向けた。床に小さな光が見えた。コロコロと転がり、聡の靴にぶつかる。
 聡は屈むと、腕を伸ばしてそれを拾った。そしてそのまま美鶴へ差し出す。瞳で問いかける。
 さきほど拾ったキーホルダーだった。数学の門浦(かどうら)が来たとき、とっさにスカートに仕舞いこんでしまった。入れ方が雑で浅かったのだろう。おもいっきり身を(よじ)った拍子に落としてしまったのだ。
 瞳で問われても、美鶴にはどう答えてよいのかわからない。自分のスカートから落ちたのは間違いないが、自分のものではない。
 不自然に言葉を捜す美鶴を見て、聡は怪訝そうに手の中を見つめた。つまみあげて眺めてみても、特に変わった代物(しろもの)ではない。
「お前のだろ?」
 そう言いながら筒状の部分を軽くつまむ。
「あっ」
 筒は、簡単に(はず)れてしまった。
 壊してしまったと思い動揺しながら、聡はどうしていいのかわからない。
「ごめん」
 本当に申し訳なさそうにうろたえながら、もとに戻そうと苦戦している。
「別に・・・ それ、ここで拾ったの。私のじゃないし」
 それでも聡は、両手で筒とキーホルダーを見つめている。
「なんだこれ?」
 聡の言葉に、山脇も美鶴も首を傾げる。そんな二人にもよくわかるように、聡は疑問に思うものを摘み上げた。
「中に入ってた」
 それは、小さな透明のビニール袋。丸めて筒の中に入れてあったらしい。広げても聡の手の平に収まってしまうほど小さな袋で、中に何か入っている。
 白いような透明のようなキラキラしていて、粉というには少し大きい粒だ。塩かなにかの結晶のようにも見える。
 聡の後ろから、山脇がひょいっと覗き込んだ。そうしてゆっくりとその手から受け取ると、まじまじと見つめた。
 大きな瞳が揺れて、目が細められる。何か言いたそうに口が微かに動いたが、すぐに閉じられた。そうして瞳だけを美鶴へ向けた。
「なんだと思う?」
 その問いかけが妙に冷ややかで、柔らかな雰囲気の山脇には不似合いすぎた。だから、すぐに思い当たった。
「・・・・ それって、覚せい剤?」







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